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「明日の神話」は長さ30メートルもある巨大壁画。 原爆の悲惨さを描いている。 メキシコで制作され1969年(昭和44)に 依頼されたメキシコのホテルに設置されたが、ホテルは倒産。 その後行方不明になったというもの。 2003年(平成15)に発見される。 その後修復され、 東京都現代美術館には2007年(平成19)4月から約1年2カ月にわたって展示された。 「太陽の塔」がある大阪府吹田市など、 永久設置場所の招致の申し出のあった地域の中から 東京都渋谷区が選ばれ、渋谷駅に設置されることが決まった。 ---------- 岡本太郎という存在は、 自分の中のどこかにいつもいるような気がする。 岡本太郎との出会いは小学生の時に行った 1970年(昭和45)大阪万国博覧会(大阪府吹田市)だ。 「未来がそこにある」という感じだった。 お祭広場の上に巨大な半透明の「大屋根」とそれを支える「太陽の塔」。 太陽の塔の内部には巨大な「生命の樹」が立っていて、 エレベータで上がって、微生物から始まる生命の進化を見ることができた。 万博全体を含めた強烈なイメージは今も頭の片隅に残っている。 その後、個人的な万博の文集を作ったり、 家庭科で作った枕カバーに太陽の塔に付いている3つの顔を刺繍したりと、 数年間、万博熱に浮かれていたことを思い出す。 さすが岡本太郎と思うエピソード。 東京国立博物館(東京都台東区)にて、 今まで単なる発掘物としてしか見られていなかった縄文土器を、 美術品として評価したり、 世間が注目していなかった「万治の石仏」(長野県下諏訪町)を絶賛したりと、 埋もれていたものを発掘してきた。 そして忘れてならないのが、 養女であり、秘書であり、妻ともいえる立場だった岡本敏子。 1996年(平成8)に岡本が亡くなったあと、 アトリエを岡本太郎記念館(東京都港区)として館長になる。 そして「明日の神話」の発見に力を尽くす。 結構テレビで見かけたが、 その言動は岡本太郎をしのぐほどだ。 2005年(平成17)に亡くなったときは、 むしろ岡本太郎の時よりも寂しさを感じたのをおぼえている。 参考 私のHP→東京都現代美術館 →東京国立博物館本館 →岡本太郎記念館 |
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