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help リーダーに追加 RSS 東京都現代美術館(江東区)で岡本太郎「明日の神話」を見た

<<   作成日時 : 2008/07/17 19:24   >>

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 「明日の神話」は長さ30メートルもある巨大壁画。
原爆の悲惨さを描いている。
メキシコで制作され1969年(昭和44)に
依頼されたメキシコのホテルに設置されたが、ホテルは倒産。
その後行方不明になったというもの。

 2003年(平成15)に発見される。
その後修復され、
東京都現代美術館には2007年(平成19)4月から約1年2カ月にわたって展示された。

「太陽の塔」がある大阪府吹田市など、
永久設置場所の招致の申し出のあった地域の中から
東京都渋谷区が選ばれ、渋谷駅に設置されることが決まった。


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 岡本太郎という存在は、
自分の中のどこかにいつもいるような気がする。

 岡本太郎との出会いは小学生の時に行った
1970年(昭和45)大阪万国博覧会(大阪府吹田市)だ。
「未来がそこにある」という感じだった。

 お祭広場の上に巨大な半透明の「大屋根」とそれを支える「太陽の塔」。
太陽の塔の内部には巨大な「生命の樹」が立っていて、
エレベータで上がって、微生物から始まる生命の進化を見ることができた。
万博全体を含めた強烈なイメージは今も頭の片隅に残っている。

 その後、個人的な万博の文集を作ったり、
家庭科で作った枕カバーに太陽の塔に付いている3つの顔を刺繍したりと、
数年間、万博熱に浮かれていたことを思い出す。

 さすが岡本太郎と思うエピソード。
東京国立博物館(東京都台東区)にて、
今まで単なる発掘物としてしか見られていなかった縄文土器を、
美術品として評価したり、
世間が注目していなかった「万治の石仏」(長野県下諏訪町)を絶賛したりと、
埋もれていたものを発掘してきた。

 そして忘れてならないのが、
養女であり、秘書であり、妻ともいえる立場だった岡本敏子。
1996年(平成8)に岡本が亡くなったあと、
アトリエを岡本太郎記念館(東京都港区)として館長になる。

 そして「明日の神話」の発見に力を尽くす。
結構テレビで見かけたが、
その言動は岡本太郎をしのぐほどだ。
2005年(平成17)に亡くなったときは、
むしろ岡本太郎の時よりも寂しさを感じたのをおぼえている。


参考 私のHP→東京都現代美術館
         →東京国立博物館本館
         →岡本太郎記念館


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